サッカー女子日本代表、ワールドカップ優勝。

Japan edge USA for maiden title
FIFA公式サイトより(ハイライト動画有)
http://www.fifa.com/womensworldcup/matches/round=255989/match=300144437/index.html



Zimbioより
http://www.zimbio.com/pictures/89fRZgIDcwp/Japan+v+USA+FIFA+Women+World+Cup+2011+Final


いやいや。めでたいですね。
今朝は3時半から起きてテレビの前で一喜一憂しました。
お陰で今頭がボーっとして、かなり眠いです。


この優勝で女子サッカーへの注目度や選手の待遇が変わるかなどは別の話ですが、今大会のなでしこの活躍は多くの人の心に強烈な印象を与えたはず。



・・・女子の試合はいつも何か心を惹きつけられるものがあります。
なぜなんだろう、と考えてしまう。
で、思い当たった。
それは彼女たちが、「こっち(労働者?)側」の人間に近いからなのではないかと。


彼女たちの、サッカーと向き合う姿勢は、本当にストイックで真摯ですよね。
その姿は、男子のサッカーを見ていても感じることのない、何か別種の感動を呼びます。
これには、日本における女子サッカーのスポーツとしての位置付けの低さが関係していると思います。
日の当たらないマイナースポーツ競技者が目指す檜舞台は、長らく「アマチュアの祭典」五輪でした。サッカー女子では、現在ワールドカップ(1991年開始)という大きな大会が一つ増えましたけど、それまでの彼女らの目標は、他の多くのマイナー競技者と同じく「4年に1度の世界大会でメダルを獲ること」でした。


澤がインタビューで語った、
「(日本に)金メダルを持って帰ります!」
という言葉の中の単語が、「トロフィー」ではなく、「メダル」だったことも、それを表していると思います。


男子と違い、サッカー女子日本代表の普段の姿は実質、「半アマチュア」。
多くが職業人であり、企業のお抱えのスポーツ部員がほとんど。
(一部の恵まれた選手だけが「サッカーにのみ集中できる環境」を与えられる)


強豪・なでしこJAPAN 昼は「農家」「仲居」「レジ打ち」 NEWSポストセブン
http://www.news-postseven.com/archives/20110702_24352.html


サッカーに限った話じゃないですが、普通の人が食うために働くように、彼女らも生活のために働きながら、二足の草鞋でスポーツにも真剣に打ち込んでいる。
(逆か?サッカーのためなら生活のすべてを賭けられるというのか?)


大好きなサッカーのためとはいえ、そこには、想像を絶するような努力や苦労、大きな犠牲があるはず。
生きていくために働き、日常を過ごす大半の「フツウの」人達にとって、そんな彼女らの姿勢は、日常の労働がもたらす普遍性ゆえに、観る者の親近感を呼び起こし、自己の姿を重ねさせ、同時に尊敬、畏怖、「正気かよ」という戸惑いに似た驚きを感じさせ、終いには、それらが「大きな感動」を生むんだと思います。


これは、普段全く注目されていなかったのに、オリンピックでメダリストになったり、ノーベル賞を受賞した「フツウの」人たちに対する反応に似ている部分があるかと思います。
マスコミなどによって、彼らの「偉大な功績」に、彼らの「日常性」というスパイスが加えられて伝えられ、そのギャップがハイライトされることで大きな話題となる。ノーベル賞の田中さんはいい例です。


もっとも、スポーツ文化の理想的なあり方という観点から言えば、これは必ずしも健全ではないのかもしれませんし、別の見方があると思います。


ですが、プロのオーケストラ(Jリーガー)より、道端の演奏家や弾き語りのミュージシャンが放つ個性やパッションに「ハッ」とさせられることってあるじゃないですか。


・・・それに、何といっても、今の女子代表は昔と比べてとってもかわいいですしね(笑)