10年前からASローマファンである俺が最近のローマファンに提言してみる

イタリアのクラブチーム、ASローマのファンです。サポーターだという自覚はハッキリ持っていません(そもそもサポーターという語いを自分の中で消化しきっていない状態らしいのです)。
最近は欧州チャンピオンズリーグという超メジャーな大会にコンスタントに出場できているせいもあって、随分とローマファンが増えてきたなと実感してます。(ただし、mixiのコミュニティ内での認識なので、随分と偏った見識である可能性も)

バルボ以後、中田以前

いつからか応援するようになったのか?自分がローマを応援するようになった明確な記憶というのがありません。きっかけは、確か98年フランスワールドカップで活躍した、イタリア代表MFルイジ・ディ・ビアッジオ(14番)が所属していたクラブだったという事。きっかけはそれだけだったと思います(余談ですが、98年のイタリア代表では彼と、モリエーロ、カンナヴァーロが特に好きでした)。そこからローマというクラブに興味を持ち出し、同時に海外サッカーにのめり込み始めました。チームカラーとしては珍しい、えんじ色のユニフォームも自分にとっては大変美しく、新鮮で、輝いて映りました。あと、自分の好み・趣向として、栄光に彩られたビッグチームというのが好きになれない、っていうのもあります。また、ローマが伝統的に若手の育成に力を入れ、生え抜きの選手を大切にしていることも決定的な要因だったと思います。ブルーノ・コンティ、ジャンニーニ、トッティ然り。
ディ・ビアッジオが好きで興味を持ったローマですが、日本人のローマ好きのきっかけとして多いであろう中田の加入はこの1シーズン位後という、微妙なズレがあります。そしてディ・ビアッジョはこの中田とほぼ入れ替わるような形でローマを出、インテル・ミラノへと移籍してしまうのでした。その頃ディ・ビアッジョの移籍に悲しんでいた俺が、替わりに(?)応援していたのが、トンマージ(96-06)やカンデラ(97-05)、フランスワールドカップで感銘を受けたカフー(97-03)などでした。

「ローマが好き?なんで?」という友人の一撃

当時(98年頃)、自分の周りで人気のあったクラブと言えば、イタリア国内では、ユヴェントスやACミランを筆頭に、バッジョを獲ったインテル、バティにルイ・コスタフィオレンティーナラツィオパルマ、渋いところでサンプドリアなどだった。実はローマなんて、中田の移籍前は、(少なくとも)自分の周りからは「ロ」の字も聞いたことがなかった。この頃はカズに継ぎ、日本人の中田がペルージャに移籍を決めたこともあって、日本のメディアもこぞってセリエAを取り上げていたけど、やはり中田移籍までローマというチームの人気はそれほどでもなかったと思う。無理もない。当時アクセスできる情報ってのは限られていて、プレイ動画と言えばセリエAダイジェストやらの深夜番組を見るとか、友人などから借りたビデオ(WOWOWとか)なり、断片的な情報を探る事しかできなかったのだから。注目が集まるのはスター選手や強いチームである。動画サイトを検索してお気に入りのチームを探すなんてことはもちろんできない。ケータイよりPHS持っている人がまだ多くいた時だし、ポケベルだって決して消えてはいないような時代だったのだ、10年前と言えば。そして、情報の少なさというのは好みの偏りを生んでしまうものなのだ。

海外サッカー話をする機会が増え、ある時友人(サッカー経験者でバッジョ好き)に、「お前、どこのチームが好きなの」と訊かれ「ローマ」と答えた時の、
「え。ローマ?なんで?」
っていう反応はいまだに忘れられない。そりゃあそうだろう。その頃は順位にしても毎年のように中位をさまよい、スクデット争いなんて夢のまた夢のような成績を残す、浮き沈みの激しいチーム。栄光の一時代を築いたとことがあるとは言え、80年近いクラブの歴史の中でスクデットも2回しか取ったことがないチーム。強豪というか古豪。そんなチームを、フランスワールドカップから世界のサッカーにやっと関心を向け始めたような奴が、上記のような事情も差し置いて「ローマが好きだ」と言うのだから。当然と言えば、当然の反応だったんだろうなと今にしてみれば思う。その発言の正しさは、ローマファンとの遭遇率の低さからも後に理解することとなった。ホント、ローマファンだって人と出会わない。会うとしても、中田移籍以降のファンが多い。

ローマというクラブ

何が言いたいかというと、10年前「日本在住でローマファンである」ということは、僕の体験を通して言わせてもらうと、つまりそういうことだったのです。渋いというか、ハッキリ言って、マニアック。
成績にしても、98年頃はセンシ会長の財産注ぎ込みと、ズデニェク・ゼーマン監督が信望していた攻撃サッカーのフィットなどが徐々に成果を生みつつあって、順位を上位まで上げたけれど、90年代の成績を通してみると、97-98シーズンの4位が最高成績のASローマ。10年間で4位が最高ですよ?スクデット後のローマしか知らないっていう方は信じられないでしょう。
俺はよくネットサーフィンで、ASローマを応援している方のページを回ったりしますが、やはり古くからローマを好きなファンは、セリエAにも精通している人が多く、同時に海外サッカー好きで、目が肥えている。おそらくサッカー経験者が多いのでしょうね。後はローマが2度目のスクデットを獲った80年代から見ている、完全なオールドファンの方々とか。そういう人たちは、どんな名門クラブにも暗黒の時代があることを知っているし、ましてやその頃のローマを知っているから、そこまで今の成績にかんしゃくを起こしたりしない。


でも、今のローマのファンを見ていて時々感じることはある。
総じて忍耐強くなく、「ローマはビッグクラブと呼ばれて当たり前」と考えているフシがあること(苦笑い)。
そして、負けが込むとボロクソに言ったり、すぐに失望ムードが漂い始める。


でもさ、これを見てみようよ。


ASローマの過去成績(カンピオナート)

90-91 9位
91-92 5位
92-93 10位 UEFA杯出場
93-94 7位
94-95 5位
95-96 5位  UEFA杯出場
96-97 12位 UEFA杯出場
97-98 4位
98-99 5位  CL予備予選出場
99-00 5位  UEFA杯出場


それが、21世紀となった今では、


00-01 優勝 UEFA杯出場
01-02 2位 CL出場
02-03 8位 CL出場
03-04 2位
04-05 8位 CL出場
05-06 2位 (八百長事件により繰り上げ、繰り上げ前は5位)
06-07 2位 CLベスト8
07-08 2位 CLベスト8
08-09 ?  CLベスト16(現在)

下の部分しか見なかったら、強豪だと思っても・・・無理ないって思う。でも同じチーム。
90年代のセリエAを知っている人から、「02-03と04-05が本来のローマだろ?」なんて声が聞こえてきそう・・・。


確かにここ10年の歩みを見ると強豪と言っても差し支えないと思う。でも、この00-01シーズンのスクデットを節目と見るなら、それまでに積み重ねた10年(センシが会長に就任したのは93-94シーズン)の長い月日があってのスクデットだったわけです。
だから、もうちょっとだけ辛抱強く見てやろうぜ、っていうことなんです。
今の強く、ヨーロッパの檜舞台(欧州チャンピオンズリーグ)に出て活躍しているローマは、90年代の下積みというか、苦労があったからこそで、今のローマは着実にその土台を生かし、良いサイクルを続けている。フランチェスコ・トッティダニエレ・デ・ロッシアルベルト・アクイラーニなどの生え抜きのスター(しかもイタリア人というだけでなく、ローマ人なのだ)を輩出しながらも、うまくピンポイントの補強で穴を埋め、成績を残し続けている。ルチアーノ・スパレッティの功績も、もちろん忘れてはいけませんよね。そして、トッティという絶対的なプレイヤー(同時に絶対的シンボル)が、何だかんだタイトル取れないことに文句言いつつも、このクラブに残り続けてくれていることは、ローマにとって計り知れない価値があるのです。いや、サッカー界全体にとって価値があると言っても言い過ぎじゃないでしょう。

そうです。これが成功でなくて何でしょう?
財政状況を考えたら、俺にとっては奇跡とすら思えます。
多少負けが込んだからと言って何だと?
ローマは確実に良いサイクルで明るい未来に向かって進んでいる。
自信を持ってそう言えます。

「ローマの歴史も何も知らず文句ばかり言うな」と言いいたいんじゃないんです。自分だって、高々10年強サッカーを見ている程度のモンですから。

ただ、少し地に足をつけて、
そして少し過去を振り返って、
そして少し感謝して、
そして一緒にローマを応援しようじゃね〜か!!

・・・ってことなんです。


※ まるで黒歴史のように取り上げてしまった90年代だが、この90年代のローマにもジャンニーニ(81-96)、アウダイール(90-03)、ヘスラー(91-94)、バルボ(93-98,00-02)、フォンセカ(94-97)、カニーヒア(92-94)、そして若き日のトッティなど素晴らしい選手はいっぱいいたのです。全員が全員ローマでプレイしている頃を俺も見たわけではないですが、今になってこのそうそうたる面子がローマにいたことの重要性や意味をわかるようになり、改めてモッタイないと思う・・・。
ジャンニーニ、アウダイールは言わずもがなですが、バルボはローマの90年代を代表するボンバー。
「バルボを知らないよ」って人にはこう言えば凄さが伝わるでしょうか。同胞のアルゼンチン人FWバティストゥータが抜くまで、セリエAの外国人最多得点記録(117得点)を持っていた人です。それまでファン・バステンの持っていた記録を塗り替えた人。しかもこの方、実はフランスワールドカップ日本戦でアルゼンチン代表として出場してます。川口にもシュートを浴びせている。←もちろんそん時の俺はただのアルゼンチン人の敵という認識(笑)